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四分三十三秒

 マルセル・デュシャンの《階段を降りる裸婦》にもし〈時間絵画〉という名称がふさわしいとすれば、のちにジャン・ティンゲリーによってつくられた記念碑的動く彫刻《ニューヨーク賛歌》は、〈時間彫刻〉と名付けられるかもしれない。しかしこうしたアナロジーに対してジョン・ケージの《四分三十三秒》はまさに〈時間音楽〉にふさわしい実体をもって登場した。例えれば前の二つの〈時間〉の作品が、近代芸術の中で獲得した数々のエピソードにあふれたどこか寓話的存在であるのに対し、《四分三十三秒》は、今もまだ演奏され続けているという点で最も直接的な現代性につらなっているといってよい。

 1953年にデビット・チュードアによって初めて演奏されたジョン・ケージのこの作品は、それまでの音楽概念を根底から考え直すきっかけとなった。

 〔何の変哲のないピアノが置かれ、舞台にデビット・チュードアが登場する。チュードアはごく自然にピアノの前に座り、それからストップ・ウォッチをとりだしスイッチを入れる。《四分三十三秒》の沈黙のあと再びストップ・ウォッチは押され止まる。チュードア退場。〕
 ジョン・ケージの《四分三十三秒》という作品をこれ以上描写するのは多分無理である。もしも描写するとすれば、むしろその会場に来た人々の表情や仕草や、ひそひそ話の光景を描写する方がたやすい。演奏の行われなかった演奏会に立ちあった人々の描写が《四分三十三秒》を説明する最も良い方法である。研究者の言葉を額面どおり受けとるとすれば〈音〉は存在したのである。観客、環境、偶然の音が世界にはあふれており、観客は演奏という概念を通して《四分三十三秒》間の音を聴くことができた、というわけである。
 ちなみにこの作品について語られたジョン・ケージの言葉を再録してみよう。現代詩手帳に掲ったビデオ作家の飯村隆彦によるインタヴューである。

飯村 私は一度も「四分三十三秒」を見たことも聴いたこともありませんが、私にはあなたの行ったことと同時にそのタイトルにも興味をもっている。
ケージ 「4'33"」(原題)というタイトルは時間であると同時に空間であります。4という数字の上の小さいダッシュは分であるとともに、フィートでもあるからです。この作品の本当のことは、非意図のマニフェストであることです。意味からの離脱ということです。
飯村 この作品はどのように作られましたか。
ケージ 私は符号毎に、すなわち短い沈黙毎に作曲しました。「変化の音楽」とまったく同じに作りました。
飯村  演奏の時はどのように長さを決めるのですか。
ケージ ストップ・ウォッチを使います。最初はデビット・チュードアによって、森の中の劇場で行いました。その時には三つの動きがありました。一つは木の間を通る日の音です。二番目は演奏が始まって、すぐに雨が降り出しましたのでその音を聞きました。三番目は人々はもうここには、何の音も出ないと分かってきたので、話し出したことです。
 飯村隆彦はこの会話のあと「正確には四分三十三秒であるかどうかはこの場合、問題ではない。観客が、それをひとつの時間の単位として意識することによって、このタイトルは半ば、ということは、作品と等価のものとして、成就されたといいうるものである。」とのべているように《四分三十三秒》には音楽をとりまく、ほとんど一切のコンセプトの中心である〈時間〉が、純粋に直接的なかたちであらわれているとみることができるだろう。と同時にそれは技法的な新しさでなく、〈沈黙〉も又優れた符号の一つとしてつかってみたにすぎないのである。類似的に考えるまでもなく〈沈黙〉の引用は意味の転倒ということからいえばマルセル・デュシャンの男性便器に〈泉〉と命名してだしたアナロジーを想像しないわけにゆかない。意味の倒錯である。いや意味の盗作ということかもしれない。ともあれ〈沈黙〉も音の一つとする概念はこうしてデビット・チュードアのパフォーマンスによってもたらされたのである。さらにそれはケージの言葉を借りれば音は空間の中に在るのである。つまり、〈空間〉は〈時間〉を含む概念によって成立しているともいえるだろう。ちなみに、この1953年のニューヨークのウッドストックの森の館で初演された《四分三十三秒》以後、ジョン・ケージは、プリペアード・ピアノのための《三十一分五七・九八六四秒》とか《三十四分四六・七七六秒》《一人の弦楽器奏者のための二十六分一・一四九九秒》《一人のピアニストのための三十一分五七・九八六四秒》といった数字の音楽をたて続けに発表しているが、こうした数字が易経の見立てによる偶然性から無作為に抽出された一種の宇宙的必然を含む円環的概念の数字だとしても、音が時間による概念性にとどまることなく空間=距離を含むというケージの指摘は、人間の行為を考えるまでもなくパフォーマンスに於ける空間と時間の緊密な関係を指している点で興味深いのである。

 さて、こうしたジョン・ケージの〈沈黙〉の概念が導かれる出発点に立ったのが〈騒音〉の問題であったことはよく知られている。〈騒音〉とは文字通り一般的には日常の中に起こる様々な偶発的音状況であるが、反面そのことを心理的には、自然な人間空間に湧きおこるノイズ状況といってよいだろう。こうしたいわば無意識的な音の状況を意識のレベルに到達させるには、論理的方法よりは、ある種の操作性によって事象を分析することが考えられた。ジョン・ケージが〈騒音〉の問題を音楽に直接もちこむきっかけとなったのは、友人の映画制作者、フィンシンジャーの「音は無機的な物体の魂である」という言葉だったとジョン・ケージはダニエル・シャルルのインタヴュー(『小鳥たちのために』青山マミ訳/青土社)で答えているが、当時の映画界がトーキーの時代から同録の技術に移行し多くの映画制作者が好んで日常音をとり入れていたことにヒントを得たものと思われる。しかし、ケージが日常音をとり入れたのはフィンシンジャーの影響もあるだろうが、この点に関してはジョン・ケージがエリック・サティの研究者であり熱心な擁護者であったことを思えば、サティの〈パラード〉にみるまでもなくそれ以前からよく知っていたというべきである。そう考えるとのちに〈騒音〉の概念から〈不確定性〉へすすんでいったケージの思想的痕跡をみる限りフィッシンジャーのヒントはヒントとしてとどまっていたとみる方が自然である。さらにはフーゴーバルのダダイズムの詩、マリネッティが1913年にローマで行った〈擬声法の大砲〉やルッソロの〈騒音芸術の宣言〉を引きあいにだすまでもなく、ジョン・ケージにとって〈騒音〉はすでになじみ深い芸術上のテーマであったことは想像にかたくない。
 とすれば、ケージにおける〈騒音〉はのちの〈沈黙〉を考えるまでもなく音の不確定性の問題の延長に位置づけて考える方がより自然である。「〔時間が最も重要な要素であると考える〕理由として、私がそれまで言ってきたのはこういうことです。つまり、ヨーロッパの人々が音の様々のパラメーターとして言っていること―〔高さ、強弱、音色、長さ(時間)等の音の諸要素〕から考えると、いわゆる沈黙にはその内のひとつのパラメーターだけしか存在していない。そして、その唯一のパラメーターが時間なのです。」(『音楽の零度』/J・ケージ/近藤譲訳/朝日出版社)とケージは〈沈黙〉について説明しているが、この唯一のパラメーターである時間が〈沈黙〉だとすれば同時に唯一のパラメーターである空間が〈騒音〉ということになりはしないか。というのは《四分三十三秒》が時間の音楽であり同時に空間を表す記号であるというケージの指摘によってこの考え方は完成するからである。〈時間〉と〈空間〉はイコール〈沈黙〉と〈騒音〉というかたちでこの場合見合っている。さらにこれに類するエピソードがある。それは〈沈黙〉がイコール絶対無音か否かという疑問を解くために、ジョン・ケージはある研究所に生き、そこで考えられる限りの完全な防音設備の部屋の中に立った時、物理的には完全な無音であるにもかかわらず、その〈沈黙〉の部屋には、自身の神経組織のはたらきと血液の循環音という高低二つの音を聴くことができたという経験である。皮肉にもここには完全な〈沈黙〉も又〈騒音〉という事実によって証明されることになるのである。
 換言すれば〈騒音〉の問題はダダイズム以降の様々な影響や彼等のアイデアの延長にあったのではなく、〈沈黙〉という概念がもたらした論理的帰路として存在した、といってもよいだろう。〈騒音〉によって〈沈黙〉が導かれたのではなく〈沈黙〉によって〈騒音〉が導かれてきたというべきである。
そして《四分三十三秒》はその一つの証左として実行されたパフォーマンスということができそうである。

 このジョン・ケージの《四分三十三秒》という作品のことを考えると私はいつも不思議な感情におそわれる。定理と背理が同時に存在しているような矛盾肯定の感情である。つまり純粋な論理的帰結を可能にした音楽上のリアリティが存在する不思議である。これはまれにみる音楽上の実験の成果なのであるのか、ないのか…。ブラック・マウンテン・カレッジのパフォーマンスが始まる前にケージはいつも宇宙精神に関するホワン・ポーの教義を朗読し、禅に関する注釈も行っていた、と『パフォーマンス』の著者であるローズリー・ゴールドバーグは〈ブラック・マウンテン・カレッジの題名のないイヴェント(1952年)〉の項で書いているが、こうした私が感じる矛盾肯定の感情は「…善悪は無く、美醜も無い…。芸術は生活と異なったものであるべきではなく、生活内の行為でなければならない。生活のすべてと同じように、それは偶然と気まぐれと変化と乱雑さとほんの瞬間的な美をともなった行為であるべきだ。」という禅宗の教えを講義するケージと似た感情に支配されているのだろうか、と思うことがある。
 つまり《四分三十三秒》という作品は矛盾する論理を統合可能にするパフォーマンスの現場によってはじめて成しとげられたものである。換言すればパフォーマンスという具体的な処作と場にあってこそ可能とされたといってもよいのである。この現場性こそパフォーマンスをパフォーマンスならしめている。〈時間〉と〈空間〉を総合し、〈沈黙〉と〈騒音〉を同一のものとし、その彼方にあらわれる芸術の過程(コンセプト)をまのあたりに体験する作業が、今日のパフォーマンスの特徴的な試みの一つであることをジョン・ケージは《四分三十三秒》を通して証明してきたかのように思える。この作品についていえば、そぎ落とされた最も簡素といえばこれほど簡素な形式はないのだが、この簡素化がもたらしたミニマリズムな手法のパフォーマンスはそれまでどちらかというと感情移入の激しいパフォーマンスに対して一つの新しいパフォーマンス→コンセプチュアル・パフォーマンスであり、ミニマル・パフォーマンスのスタイルへ移行するきっかけをつくった。こうしたパフォーマンス芸術上の観念は、その後の形式や手法の簡素化を通して音楽ばかりでなくパフォーマンスもダンスも演劇も含めて芸術全体がミニマリズムのもつ象徴的かつ記号的な方向へ向かう最初のきっかけとなった、といってもよいだろう。さらに発想の転換といういい方をすればこの作品はマルセル・デュシャンが《泉》と題した便器を芸術作品として提示した芸術上の転回点に比するものとして表出されたのは、いまさらいうまでもない。

 それはさておき、《四分三十三秒》以後のさまざまな活動は〈ハプニング〉から〈フルクサス〉の運動をへて益々活発になっていった。パフォーマンスに沿う動向としては〈フルクサス〉以後でいえば〈アース・ワーク〉〈ミニマル・アート〉〈コンセプチュアル・アート〉などが批評的芸術として生まれてきた。ロバート・スミッソン、マイケル・ハウザー、デニス・オッペンハイム、クリスト、グループ0のハインツ・マックやギュンター・ウッカーなどが〈ハプニング〉をさらに観念的にも形式的にも拡大したかたちで巨大な作品を展開したのは記憶に新しい。彼等のほとんどは野外に飛び出していった。〈ハプニング〉がもたらした批評言語的性格と共に環境芸術としての表現方法は都市という疑似野外にとどまることなく、広大な地球レベルにまで結果としてはその表現の場を求めていったのである。そこではやがてハプニングのもっていた批評言語性が次第に消え、表現そのものがもつ可能性を純粋におしすすめていった結果、広大さや自然が主題となっていったのである。それは又、優れて人間性の回復ということが、ハプニングのような対立性を越えて創造されてゆくきっかけの一つでもあった。さらに、ケージがその音楽上の実験やパフォーマンスで試みた様々なミニマルな形式は、音楽でいえばモートン・フェルドマンやラモンテ・ヤング、フィリップ・グラス、テリー・ライリー等がのちにミニマル・ミュージックとしてその発展と継承に形式を認めることも可能である。モダン・ダンスではすでにケージと共同作業を開始していたマース・カニングハムは勿論のこと、トリシャ・ブラウン、ルシンダ・チャイルズ、デビット・ゴードンなどの新しい形式と同時にそれ以前から活動をしていたイサドラ・ダンカンやアン・ハルプリン、ルドルフ・フォン・ラバンなども思想的には加わって大きな流れを形成しはじめていた。多くのダンサーはこうした時代の先端を切り開くにあたりロバート・ローシェンバーグやロバート・モリスなど多くの美術家達と共同作業を行っていたこともダンスを音楽以上に先鋭的なものにしていった理由であろう。
こうした一連のミニマライゼーションとでも呼べるような動きに対して、イタリアから起こった〈アルテ・ポーヴェラ〉(直訳すると貧しい芸術)の命名者でありマニフェストを書いたジェルマーノ・チェラントは「理論の優位」と「感覚原則」という言葉によって、この時代の関係を説明している。『従って一方には観念と「非物質化」の世界が、つまり純粋論理の王国があり、もう一方には官能的感覚を物質化する、自然と人間の世界がある。そして十全な解明を常に不可能なままに保留しておくこの対立関係の中にこそ、アルテ・ポーヴェラやコンセプチュアル・アート、ボディ・アートの芸術的探求の目的がある。』(ジュリアーノ・チェラント/竹山博英訳/アール・ヴィヴァン1984年13号)。ちなみに〈アルテ・ポーヴェラ〉に参加した芸術家としてはジョヴァンニ・アンセルモ、アリギェロ・ボエッティ、ルチアーノ・ファブロ、ヤニス・クネリス、マリオ・メルツ、ジュリオ・パオリーニ、ジュゼッペ・ペノーネ、ジルベルト・ゾッオ、ミケランジェロ・ピストレットなどの名前をあげることができる。
 こうして1970年の初期までに、今日のパフォーマンス・アートの思想的種子はほとんど出そろったといっていいだろう。加えれば、イヴ・クラインとピエロ・マンゾーニの存在、それに続くヨーゼフ・ボイスのパフォーマンスの痕跡は、パフォーマンス・アートの通史を知る上で欠かすことのできないものであるのはいうまでもない。
 何度も書くようだが、こうした通史はパフォーマンス・アートにとって、その時代に生きた人々の〈身体〉のありようと重なっている。そしてその〈身体〉がすでにメディア的なものとして認識された時、〈身体〉という記号は、その記号ゆえに時代の状況と重なりあうのは当然である。

 《四分三十三秒》というジョン・ケージの作品が、音楽という〈時間芸術〉の領域であるにもかかわらず、そこにあらわれたのは〈空間〉であり、その〈空間〉を媒介にしてはじめて〈沈黙〉と〈騒音〉が同一のものとして論じることができたことがパフォーマンス・アートにとって〈空間〉のもつ意味が単に〈場〉にとどまることなく〈時間〉を含むことによって成立するということの証左であったのは前にのべたとおりである。いい換えれば〈場〉によって経験されるパフォーマンス・アートの存在が、まるで宇宙の中の素粒子の衝突によって第三の原子ができるようにそれまでの矛盾を統合することによって知覚を開けてゆくという証明である。演者がそのまま観客であり、観客が演者になるという倒錯した理論も〈場〉が可能にするパフォーマンス・アートの特有の現象の一つである。時にはパフォーマーはこの倒錯した関係の演出家であり同時に批評家であるというパラドックスを生きる芸術家といってもいいだろう。
 つまり、〈身体〉を通して世界を異化する行為という考え方からすれば、このパラドックスを生きるという倒錯した関係によってパフォーマンス・アートは、多くの分野の引用と援用、象徴と隠喩を使用する権利を手に入れたのである。王と道化という比喩に従えば現代のパフォーマンス・アーティストという存在は、絶対的王権としての芸術を演じる道化の役ということになる。いはば、近代の芸術をからかい、そして自らそのからかいの対象に身を置くところのコンプレックス・アートの担い手であるといういい方が最もふさわしい。

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