大倉山記念館周辺
正面入り口から真直ぐ階段をのぼり続けるとそこがホールです。
 東急東横線の大倉山駅前商店街が取り入れたギリシャ風デコレーションは、この大倉山記念館の建築様式からヒントを得たそうですが、当の大倉山記念館の建築様式は、プレ・ギリシャ様式、正式にはプレ・ヘレニズムというスタイルだそうです。ギリシャのスタイルとは反対のスタイルということになります。逆柱か? つまり、ギリシャの誕生に先立って、エーゲ海の島々で花開いたミノス文明のスタイルで、ギリシャとは反対に神秘的で不合理で魔術的な形を特徴としているそうです。 正面入り口から建物の中へ入るといきなり、吹き抜けの天井からライオンとワシがにらんでいます。これは、ギリシャ以前の歴史の闇の中で地中海世界を支配していた異貌の神々の棲家を飾ったスタイルをかたどったものでしょう。あまり見つめていると、飛びかかってきますので要注意! この建物の創立者は、日本橋の紙問屋のオーナーであった大倉邦彦氏です。宇宙に浮かぶ地球のイメージで、丘の上の敷地を世界地図の形に造園し、仏教や儒教や神道といった宗教思想の枠を取り払い、それらがお互いに呼吸しあうような曼陀羅的な精神の宇宙をつくりたかったらしいのです。どのへんが何処の国にあたるのかを見つけるのもおもしろいかも。 大倉山駅からこの神殿に通じる道は、結構きつい登り坂が用意されていて、ほろ酔い気分のからだでは、心臓バコバコもので、これにもわけが有ったのです。 ちょうど、神社で鳥居から参道を通って本殿に向う際の心理作用の効果と同じものを考えていたのではないかとさえ思えてきます。清いこころで参拝しましょう。 1984年に横浜市が市民一般に開放する頃には、建物の修復、周辺道路の整備などをおこなって、快適に使えるようになりましたが、それ以前は、とても人が近付ける場所ではありませんでした。青大将ヘビとタヌキは見かけました。 今から約39年前、私(関口)は同じ東横線の祐天寺駅(東京都目黒区)から引っ越してこの大倉山の地に住み着きました。その当時の大倉精神文化研究所(現在の大倉山記念館)は、建物は薄汚れ、壁は崩れ落ち、敷地内は荒れ放題で子供心に薄気味悪い印象さえ持ちました。当時、小学生だった私は、友だちとお化け屋敷などと言っていました。 夜になると研究所のなかから叫び声がするなどといって、肝試しをしに周辺を探検したものです。子供の持つ想像力とは、せいぜいそんなものでした。 ここに、世界を集約した大曼陀羅の造型があるとは、夢にも思わなかったことです。現在、ヒクイヤマのワークショップとコンサートにここのホールを利用しています。
隣にある梅園(2003.2.7撮影)
大倉山梅林公園は、春には桜の名所にもなっている所です。ここも今のように整備される前は、もっぱら犬の散歩コース100選に選ばれそうな場所でした。そんなものあるのか? 通称犬のウンコ山。 現在、この公園の池近くに生息するアヒルのホームレスは、となりのお寺で飼われている者達です。もう一羽カモもいたのですが何年か前の正月の朝にカゴにネギを積んだ自転車とともに行方がわかりません。いまだに、なぞのままです。
2/7日、もう花が咲き始めていました。
休日には売店も?